昭和30年代後半に卒後教育の充実が問題となり、教室ではその制度化について検討がなされ、昭和40年代に入って鈴木教授のもとでほぼ現在の形が出来上がり、実行に移されました。昭和42年に卒後教育にふさわしい指導者を含め、耳鼻咽喉科医師の定員が4名以上であること、欧文雑誌を一定以上備え、ベット数、診療施設等が規定以上であること、さらに学会報告、剖検例が一定以上必要などの条件で教育関連病院が指定され、当時これらの条件を満たす病院として国立東京第二病院、中野組合病院、国立栃木病院、川崎市立病院、立川共済病院、警友総合病院、横浜市立市民病院の7病院が挙げられています。
昭和40年後半からはこれら教育関連病院で新たな卒後教育を受けた教室員に加え、欧米に留学して耳鼻咽喉科の基礎、臨床を身に付けた教室員が多数帰国し、これらの教室員が関連病院に出張することにより、多くの教育関連病院は充実した臨床教育の場として発展してきました。最近の20年間における関連病院勤務医の学会活動も極めて活発で、日本耳鼻咽喉科学会、日本気管食道科学会はじめ、多くの関連学会に役員として活躍する一方、各都道府県においても重要な役割を担っています。学会報告に関しては学会の数の増加に関連して多数の業績発表が行われ、国内外で開催される国際学会においても同様に多くの報告を見ることができます。さらに、これらの成果は国内外の医学誌に原著論文として発表されており、年々増加の傾向にあります。教育関連病院の目覚ましい発展は、個々の教室員の優秀性もさることながら、卒後教育の優れた面が開花した結果といえます。現在は30余の関連病院に約90名の教室員が勤務しており、それぞれ地域医療のニーズに応えながら、日々研鑽を積んでいます。